素敵なお金の使い方

私の大切な人の誕生日を迎えました。

いつもはケチな面のある私ですが、こういうときはお金を使います。

 

お金は自分のために使ったときも嬉しいですが、人のために使ったときも嬉しいですね。

暗黙の了解的に決まっている先輩が奢るとかそういうのではなく、本当に喜んでもらいたいと思いながら買い物をしているときはなんだかワクワクします。

 

自分にご褒美をあげるためにお金を稼げる人がいますが、僕は本当にめんどくさがりなので、苦しい仕事をするぐらいなら最低限生活ができれば良いという考えになってしまいます。

もちろん頑張って稼げたときの嬉しさはすごいです。頑張りが報われた感じが何とも言えません。ですが、日常が辛くなるのを天秤にかけると何もしないという選択をしがちです。

 

そんな僕でも人に何かを与えたいと思うと頑張ろうかなとか思ったりします。

長続きするかは別ですが、、、

でもやっぱり自分だけで完結するものより誰かを喜ばせるとか、一緒に喜んでもらえる人がいた方がやる気は出ますね。

なんだか最近心が荒んでいたので、久々の感覚で嬉しいです。

人間関係

昨日今まで仲良くしていた人に嫌われてしまいました。

元々苦手な部類の人間で仲良くなれないと思っていたものの、想像とは裏腹になかなか気に入られていました。苦手と思っていても相手からの好意が伝わると苦手意識は薄まるのが不思議です。

 

しかし、最近になって僕の不手際が続きました。ある作業を共同で行っていたのですが、自分のやることなすことが裏目に出て、さらにはサボっているとさえ捉えられてしまいました。

そして昨日にとどめです。気合いを入れて作業をしたものの、それが相手の邪魔をしたようです。

最初のミスの時は謝りました。あとは相手の勘違いだったりしますので、あまり真剣に対応しませんでした。ただ、自分が勘違いさせるような行動だったので、対応を間違えいていたと思いました。

冷静になると総じて自分が悪いと思います。

しかし今更修復はできません。このまま関係を続けるのであれば、お相手の性格上、それは対等ではなく、僕が言うことを聞くロボットになるしかないような気がします。

 

このことは気にしないようにしていますが、実際はかなり気にしています。ダメージ大です。

嫌われるのが怖くて、人と浅くしか関わらない分、あまり大々的に嫌われない、もしくは嫌いという気持ちをぶつけられることが少ないため、耐性がついていないのです。

昨日一日は本当に調子が狂ってしまいました。今日でさえもまだ引きずっていることを否めません。

 

なぜこんなにも嫌われると辛いのでしょうか。嫌われないようにしているのに嫌われるからでしょうか?

もしも嫌われる前提での言動をしていればそこまで傷つかないのでしょうか?

今後の人間関係についてかなり悩みましたが、とりあえずできることはやはり背伸びせずに自分を出していくことだと思っています。

僕はどうしても気に入られたいとか凄く見られたいとか、そういう意識が強いのだと思います。

ダメな部分が山ほどあるので、もし自分をそのまま出せても、今回みたいに迷惑かけることがたくさんあると思います。そうなると結局嫌われるのかもしれません。

でも、新しい人間関係を構築する際には試験的にありのままの自分に近い状態を出していければと思っています。

 

あと、もう一つの課題としては相手に言わせることです。最近になって気づいたのですが、相手にあまり突っ込ませない環境を無意識で作っているようです。

ミスを指摘したいけど指摘しにくい相手、怒りたいけど怒りにくい相手というのはいると思います。

僕は無意識下でそんな環境を作っているようです。そうなると相手は不満を抱えていってしまいます。

実際に関係が徐々に悪くなることがあっても、良くなっていったことはありません。

問題は言いやすすぎるというのもそれはそれで僕がやりづらくなることはわかっています。なので、良い塩梅を見つける必要がありそうです。

 

一度このたちの悪いクズみたいな性格をぶつければ、僕のイメージも崩れて、相手も指摘をしやすくなるのかもしれません。

そんなことを考えていると結局相手に合わせようとしすぎているこの考え自体がダメなのか?とかも思います。

もうドツボにハマってしまってよくわからなくなってきましたが、明日にはこの怪我も完治していることを祈ります。

就寝

今日は起きようと思っていた時間に起きられませんでした。

最初から計画が崩れるとやる気がどっと下がりますね。

よく決まった時間に必ず目が覚める方がいますけど、羨ましいです。

僕の体は時間を全然覚えてくれません。

 

今日起きれなかったのは昨日なかなか寝付けなかったのが原因だと思います。

快眠するための方法は今までも割と情報を見てきましたが、大概共通しているのは、朝に太陽の光をしっかり浴びて、夜中にメラトニンが出るようにすること、入浴をして深部体温を高めること、リラックスをすること、就寝前にブルーライトを浴びないこと、カフェインを取らないことなどですかね。

上記の内容は全部守れていたんですが、僕の場合は一日のうちにウォーキングでも何でも構わないので、体を動かさないと眠れないです。

結局座りっぱなしで疲れが足りなかったんですね。

 

こんな日は今までも何回もあります。

その度に翌日は快眠のために運動も含めて活動的な一日にしようと頑張ります。

眠るときは意識が無いのに、その時間のためにその日を頑張るというのは少し面白いです。

でも、快眠の先に快適な一日があると思うので、重要事項なのは変わりません。

とりあえず、睡眠時無呼吸症候群を治したいです。

 

コミュニケーション

最近は人と会話することがめっきり減りました。

たまには人と話をしたいですね。

とはいってもなかなか心を開けず、言いたいことをしまっておくことが多くて、返ってストレスになるときもありますけど、、、

みんなはどのくらい人に心を開いて包み隠さず話をできているのでしょうか?

僕にはなかなか難しいです。

 

コミュニケーション能力を磨こうと思って、いろいろ調べてるときがありました。

割と多くの人がもろもろ集約すると「聞き上手になること」という話をしています。

別に面白くなくていいということが書かれていました。

実践してみたらまあ少しはマシになりました。けど、上っ面っていうのは消えないもんですね。

 

マシにはなってきたコミュニケーション能力ですが、それでも足りません。

なんとなくの会話はできますが、やはりなかなか人を楽しませるに至らないです。

時と場合にもよりますけど、結局は話してて楽しい気分になれる相手が一番いいですよね。

僕は楽しませる能力に関してはなかなか目を見張るほどにありません。

原因はなんとなくわかっていて、それは僕自身も楽しんでいないからなのかなと思っています。

人を楽しませることができる人って、けっこう自分自身も楽しむことができてる人が多くはないですか?

まあこの偏見は間違っていてもいいのですが、僕は自身も楽しめて、人も楽しませることができるのなら最高の能力だと思っています。

 

ここにネガティブな感情を置いていくとけっこう楽になります。

コミュニケーション能力をつかめるのであれば、ここには負の塊をいくらでも吐き出していきたいと思います。

数字という恐怖

2ヶ月前ぐらいからランニングをしています。

コースを固定し、同じ距離を走っています。

頻度は2日に1回ぐらいのペースでしょうか。

暑くなってきたこの季節では汗がすごく出るので、悪いものが出て行った感じが好きです。

本来なら毎日走りたいのですが、日が空いたりするのには理由があります。

それはタイムです。

 

僕は「Nike Run Club」というアプリを使用しています。

いつ走ったかを記録することが1番の目的ですが、このアプリはどのコースを何㎞走ったか、1㎞ごとに何分で走ったか、はたまた1分間のテンポまで情報を出してくれます。

どうせなら記録は細かい方がいいと思い、これを使い続けています。

 

しかし、これが僕を追い詰めてきます。

同じ感覚で走っていてもタイムが縮んでいることがあります。

自分が速くなっていることを実感します。

そうなるとタイムが気になり始めます。

それは加速していき、毎回どうしても前の自分を超えたくなります。

そしていつの間にか目的が健康のために走ることから速く走ることにシフトしています。

全力を出すとしんどいです。疲れます。続けていくうちに走ることに対するイメージが辛いものになり、走りに行きたくなくなり、一旦やめてしまいます。

こうなることがわかっていても不思議なことに何度もこの罠にハマってしまいます。

まるで一種の中毒のようです。

ダイエットをしている方で過剰に体重を気にする方がいますがそれと同じですかね?

 

実はこのアプリは走行中にも情報をくれます。

1㎞ごとにアプリからアナウンスが来ます。

1㎞通過したこと、総合のタイム、1㎞平均タイムの3点です。

非常に便利ですし、欲しい内容ではあります。

ですが、それと同時に速く走れという悪魔の呪文にも聞こえてきます。

 

こんなことがあるので、ランニングが辛くならないように意図的に日にちを空けて走っています。

また、最近では人と一緒に走るようにしています。個人的にはこれが一番効果ありです。

 

いっそタイム計測はやめようかと思いましたが、アプリにはすでに記録されている内容があるし、何よりこのアプリは素晴らしいと思います。上記の内容はサービスの一部で、機能としてはまだ他にもあります。

なので、なるべくこのアプリとうまく付き合っていければと思っています。

皮肉

最近は読書をするようにしています。

知識を身につけることは目的の一つですが、自分は読解とか情報処理が苦手だと思っているので、読書をすればそれが身につくのではないかと思ってのことです。

また、もう少し幼稚な理由で言うと、本を大量に読んでいる人は単純にかっこいいと思っていて、そうなりたいというのもあります。

本にマイナスなイメージはありませんので、できるだけたくさん読んでいきたいです。

しかし、問題があります。

まず、先に書いたとおり情報処理が苦手です。

そこまで難しい本は読んでいないので、まったく理解できないということはありませんが、どうしても読み返しが多くて時間がかかります。読んだ気になっててまったく頭に入っていないなんてこともしょっちゅうですしね。

加えて集中力が切れやすいです。

1ページ読んでは一回置いたりします。読みながら関連のことを思い出し、思考が始まってしまいます。

そして極めつけは一気に情報が入ると、どれがどの情報だったかがよくわからなくなります。そのくせ読み返しはあまりしたくないというわがままぶりです。

なので継続的に、そして大量に読書をしたいのですが、それができないのです。昔から国語は苦手だったので、訓練不足ということですかね。

 

それにしてもやりたいことと自分の特性が一致しないというのは皮肉なものです。

僕はスポーツをやることがすごく好きで、特にバスケットボールは好きです。

しかし、困ったことに身長はないし、体も大きくなりにくく、線が細いです。

ボートレーサー向きの体型です。

また、スポーツの中でもスラムダンクの影響でチームスポーツっていいなと思っているのですが、遠慮や萎縮をしやすく、コミュニケーション能力の低い僕はなかなかうまくいきません。それに比べるとまだ個人スポーツの方は頑張った分が成績に反映されていました。

できないから憧れるのか、憧れているものに向いていないのかはわかりませんが、自分が好きだと思ったことが向いていないとわかったときは結構しんどいですね。

体格的な面だけであれば頑張れますが、人間的な性質な部分で不得意と思ってしまうとなかなか自分をフォローできません。

結局それでも諦めない精神力があって、頭を使って必死に練習する人たちが日の当たる場所へ行くのでしょう。かっこいいですね。ぜひそうなりたいと思うのですが、堪え性も覚悟もない僕にはなかなか難しいです。

 

どうしても無い部分を見がちな僕ですが、環境には恵まれていると思っています。

親、兄弟、妻は本当に自分のことを気にかけてくれています。本当に困ったことが起きてしまっても相談に乗ってくれて、精神的な逃げ場を作ってくれるのだと思います。

また、辞めてしまった会社も本当にいい人ばかりでした。相手のことを考えた上で行動をしている人が多かったです。

僕は良い環境に生まれてきて、良い環境に出会う才能があったようです。

 

遅れながも理想の自分と現実の自分の差をここ数年でしっかり実感してます。

なのでこれからは、自分に合ったペースで進めていき、自分の子供や関わる人たちに良い環境を与えることができれば嬉しいと思っています。

お金

お金持ちの方って「お金はただの紙切れでしかない」みたいなことを言いませんか?

僕は社会人なりたての頃はその意味がよくわからなかったです。

お金はお金なのでは?というかんじでした。

 

池上彰さんの「池上彰のやさしい経済学1 しくみがわかる」という本をふと読み返していると、その言葉を理解できるお金の成り立ちについて書かれた内容があったので、思い出していました。

 

皆さんはお金の成り立ちを知っていますか?

 

現在では必要なものをお金で買っていますが、昔は物々交換で必要なものを手に入れてました。

ところが物々交換では欲しいものがマッチしないこともあるので、日本では皆が必要な稲を仲立ちに使うようになりました。

そして腐敗しない金銀銅が稲に変わって仲立ちに使われるようになり、そうすると両替商というのが出てきて、それが金を預かっているということを示す預かり証という札を発行しました。

やがて両替商が銀行となり、また中央銀行(日本銀行)が設立され、金と交換可能なお札である兌換券(だかんけん)を発行しました。

そして経済活動が活発になり、お札を発行していると金が足りなくなるとのことで、金とお札を切り離し、今の紙幣となったようです。

 

つまり今現在のお金は政府が「これがお金だよ」といって中央銀行が発行しているだけの紙ってことですかね。

稲や肉、魚などは紛れもなく稲、肉、魚であって、みんなが違うと言ってもその使い道は変わりません。

しかし、お金はみんながお金だと信じて使っているだけで、自分以外の全員が「それはお金じゃない」といえばただの紙切れです。

みんなでこれはお金だと信じ込んで成り立っていると思うと面白いなと思いました。

常識なのでしょうが、僕にとっては「ただの紙切れ」というのに納得した内容でした。

みんなが信用している限りは何でも交換券ですかね?

 

この事実に気づいてからは個人的なお金の認識が変わりました。

昔はあればあるだけいいものとかその程度のとても浅い捉え方でした。

それが「欲しいものやこうしたいと思うことを実現するための手段」という感じになりました。

貯金は安心をできる程度にして、後は幸せになるように使っていきたいですね。

 

ただ、人間はお金自体が好きみたいです。

お金を払うときには足の小指をどこかにぶつけた痛みと同じ反応が脳に出るとかなんたら、、、

まあ余談ですが、とにかくお金って面白いなと思いました。

 

以上