すべては小さなことの積み重ね
よく夢は大きい方がいいと言います。
僕も夢が大きいというのは素敵だと思います。
叶った時も嬉しいでしょうし。
ただ、これもよく言うことですが、目標は小さい方がいいと思います。
これを積み重ねて大きな夢に達したというのが理想じゃないでしょうか。
実際に大きなことを求めがちな人は三日坊主になりがちだったり、やる気が続かない人が多いようです。
人生の満足度としても小さな成功を積み重ねられる人の方が高かったりするらしいです。
自身の経験としてもこれは納得できます。
いたずらに大きな目標を立てると結構途中で辞めてしまうことが多かったですが、ひたすらに小さなことを積み重ねたものはなんだかんだ伸びていきました。
ゲームのスマブラというものがありますが、細かい小技なんていらないと思っているときは全然強くならなかったのですが、これを取り入れ始めてからはどんどん強くなりました。
自分ではあまり強くなっている実感がないのですが、やはり細かいところをいくら積み重ねられるかが重要なんだと思いました。
昨今では効率という言葉が重要視されています。
当然大事なことです。
しかし、それに囚われるあまり結果が出ないケースもよく見てきました。
結局地味なことの積み重ねが一番強いのだと思います。
大きな目標を持たずとも、次はこうしようを続けていれば勝手に結果はついてくるのかもしれません。
死への恐怖
私は今日も死への恐怖感が湧き上がりました。
発作的に起きるこの症状はふとしたときに突然襲ってきます。
死ぬと言うよりも自分が無になるという恐怖です。
今見ているこの景色も感覚も意識もすべてが無くなり、それは永遠に続くという恐怖です。
現在の日本では死の意識を持つことが少ないです。
日常ではそんなこと考えもしません。
だからこそでしょうか?
この不慣れで遠縁な死を少しでも感じると一気にその恐怖感が火山のように吹き出してきます。
しかし慣れたいと思うものでもありません。
身近な人の死も勘弁です。
それに実は悪いことばかりではありません。
死を感じるとそれはもう言い表せないほどの恐怖でどうしようもなく焦り、混乱します。
小さいときはただ落ち着くまで待っていました。
でも今は違います。
いつか死ぬんだ、永遠に無になる日が必ず来るんだ。この体も意識も本当に無くなる日が絶対に訪れる。
じゃあ何をする? こんな考えが浮かびます。
小さくてただ守られる存在だった自分は何もできなかったし、自分のことしか頭にありません。
でも今は、子供がいないにせよ、病弱な妻がいます。それに高齢になってきた両親もいます。
つまり守りたい人たちがいます。幸せにしたい人たちがいます。
こうなると考え方が変わるんですね。
どうせ死ぬなら愛した人たちをちゃんと幸せにしてあげたい。何か残してあげたいと思うようになりました。
そうなると落ち着くどころか、今悩んでることが小さく見え、何にでもチャレンジができるようになった気がします。
しかし、これも一眠りすれば効果が切れます。
そのため最近は落ち着くための一時的な感情(技術)なのか?と捉え始めました。
だとすれば、それは最も悲しいことです。
家族を守ろう、幸せにしようという気持ちが虚像でしかなくなるのですから。
一方で危険の少ない平和な状況だからこそ、一時的にしか死を意識できない。
それにより効果が持続できないのかもとも思いますが、それはそれで悲しいです。
なぜならば、人生には痛みや苦しみが無いと優しくなれないし、勇気も持てないということを証明しているような気がするからです。
誰だって、辛い経験は遠ざけたい存在です。でもそれがなければただ堕落していくだけで、それこそ死ぬ間際に後悔が多いことでしょう。
つまり人生には苦しみが必要と認めなければなりません。
正直そんなことはわかりきっていることですが、可能であれば、やはり楽しい経験のみをしていきたいものです。
そう思うと人生自体が辛いもので、死は解放という考え方もできます。
かといって自殺はできませんが。
なんにせよ、いつも死を実感したあとのやる気が長続きしませんので、今回こそは持続的な力に変えていきたいと思うばかりです。
100%か?という問いかけ
脳は楽をしようとします。
なぜなら生きるためにはエネルギーをできるだけ使わないのが良い選択だからです。
私たちの体は何百万年前の狩猟採集民であった頃と構造は変わりません。
しかし、残念ながらその体は現代の生活用ではありません。
狩猟採集民として長い年月をかけて進化した結果なので、言うなれば狩猟採集民用の体です。
狩猟採集民は特定の場所に行けばいつでも物が食べられるということはありません。
いつだって食べ物を探し、見つけて、食べて、次を探しに行きます。
当時は食料の保存だってできません。
そのためエネルギーを体に貯めようとしますし、消費しないようにします。
だからこそ私たちはすぐにサボりたがります。エネルギーを消費したくないんです。
私もそれをよく実感します。
特に筋トレの時でしょうか。
どうしても100%を出し切れません。70%ぐらいを何回も続けるというのが基本になってます。
全力は体が拒否するのです。心の中で全力!全力!と思いながらも体はついてきません。
そんな全力を出し切れない自分に最近嫌気が差してきました。
大好きなバスケをしていても、どこかセーブがかかっているような感じでうまくいかず、モヤモヤします。
どうにかできないものかと考えました。
とりあえずアスリートの人の動画を見ては真似してみました。
大声を出してみる、まだ余裕だと言い聞かせる、などなど、、、
しかし効果は若干感じるものの、しっくりはきませんでした。
しかしある日のランニングのときです。
全力ダッシュをしてみようと思い、人目が無いことを確認してスタートを切りました。
いつも通り、「もっと体が動くはず」と思いながらもそれ以上に出力が上がりません。
そのときでした。
自然に自分に対して「本当にそれは100%か?」と問いかけました。
そしたら脳がというよりも体が「違う、まだだ」と反応したように感じました。
そして出力は上がり、自分の頭の中と一致する動きになりました。
これだ!と思いました。
まだ発見して間もないので、いつまで効果が続くかはわかりませんが、今のところは非常に良い感触です。
なぜ問いかけがよかったのかと考えてみました。
おそらくフィードバックが大事なんだと思います。
今までは自分の出力に対しての感情にアプローチしてました。
「辛い、やめたい、もう無理、うまくいかない」という感情が沸き上がってくる中で「まだいける、余裕だよ、楽勝、できる」と言い聞かせる感じです。
しかしこれでは限界がありました。途中で「やっぱ無理!」ってなります。
それに対して「それが100%か?」は現状の確認です。
自分の状態や出力を感じ、それをフィードバックするという作業はその動作に100%集中ができます。
この集中できるというのがポイントだと思います。
今までは気持ちが大事だと思い続けていましたが、そうではなかったんです。
辛いとか、余裕だとかそういった感情は余計な労力になります。
さらにネガティブな感情がわき上がると、その後に「これをやったことでどのくらい効果があるのだろうか?」とかさらに余計なことを考えます。
これでは無駄な力を使い続けているだけです。
いかに無駄をなくし、今の動作に一極集中できるかが大切なんだと考えます。
また、副作用的なものでしたが、この確認はフィードバックなので見極めができます。
おそらく、本当に100%を出してしまえば怪我をします。
筋トレ中に「100%か?」「いや、まだだ」を繰り返すと筋繊維がちぎれそうになるのを感じます。
勢いだけでやって、もしその段階に到達できていたらそのまま怪我するでしょう。
実際に私も怪我したことがあります。
しかし自分の状態と集中して向き合っている状態では危険なゾーンに入ったときの認識が早いです。
良いところでストップをかけることができます。
完全に個人的な認識ですが、割と理にかなっているのでは?と感じます。
私は飽き性なので、最初はうまくいっても同じ方法ではなかなか続かないこともあり、そんな不安もありますが、今はちょっと筋トレが好きになっています。
依存症
依存症とか強迫観念とかそういったものは本当に怖いですね。
本人の意思の力ではどうにもできないとか、、、
僕はその類の本を読んで、まるで人ごとのように「怖いなぁ」と思っていました。
しかし最近になって、実は自分もしっかり依存症だということに気づきました。
ここ数年間はYouTubeやTik Tokをいつまでも閲覧していました。
なぜ自分が依存症じゃないと思っていたのかはわかりませんが、今では絶対に依存症だと思っています。
また、そういったSNS依存症以外にもポルノ依存症もあてはまると思います。
こちらの方はドラッグ中毒者の脳と同じような状態に変化しているそうです。
ちょっとショックです。
上記のようなSNSやポルノの長時間視聴はドーパミンが異常に出過ぎて、その受容体が減っていき、鬱になりやすい状態へと変わっていくようです。
他にもジャンクフード、ブルーライト、テレビ、ゲームなどが同じような括りとして挙げられ、それらはすべて人間の脳が処理しきれないほどの刺激があるとのことです。
十分に気をつけた方が良いと思います。
ちなみに僕は対処を始めて数日ですが、良くなってきたと思います。
依存症の対処としては運動をして自己コントロール能力を上昇させることだそうです。
ネットの一つの知識なので、鵜呑みにはできませんが、運動の万能性については過去に読んできた本が説明してくれているので、信じてみてもいいかなとは思っています。
僕は自分の人生の中で「半年間まったく運動をしていない」などのような状態に陥ったことがありません。
元々運動が好きだし、気分が良くなるため、みんなでスポーツをするような機会が無ければ自主的にある程度のランニングはしています。
今まで重度の依存症にならず、生活を続けられる範囲にとどまっていたのは運動のおかげだったのだとわかり、改めて運動好きな自分に感謝しました。
その反面、いい歳なのでそろそろ自分をコントロールすることぐらいできないとと少し焦っています。
リズム運動
ここ数日YouTubeを見ながらダンスをしています。
すごく楽しいし、やる気が出てきます。
以前に本で読んだことがあるのですが、リズム運動をするとセロトニンというホルモンが分泌されるそうです。
幸せホルモンという呼び方をされたりするそうで、良い気分になったりイライラを抑制してくれたりするそうです。
逆にこれが欠乏しているとうつ病とかになってしまうようです。
ダンスといえばリズムですよね。
これのおかげでセロトニンが出てるのか、気分がよくなったり、筋トレもするか!というやる気が起こったりもしています。
やる気を出すためにはどうすればいいかというのは多くの人が悩む内容ではないでしょうか?
僕も小さい頃からずっとやる気が出なくて困っていました。
それが意外なところで少し解消されました。
僕にとって革命レベルでの変化ではありませんが、人生が一段階良くなるような予感がしています。
リズム感が無いのでこういった方面のことは極力避けてきましたが、やってみるものですね。
実はダンスを始めて1週間弱が経過します。
今となっては気分を良くする、やる気を出すが目的になってきてますが、最初は違いました。
未経験だと少し複雑な動きをされただけで理解ができません。
しかし、それができるようになってくるとすごく楽しいです。
つまり、成長することが楽しくてやっていました。
武井壮さんが未経験のうちは伸びしろしかないから一番楽しい時期だと言っていたような気がします。
まさにその通りでした。
YouTubeには様々な動画がUPされています。
基礎ステップはもちろんですが、縦ノリ、横ノリなどまずはノリ方から教えてくれたりもします。
苦手意識がある人ややる気を出したい方にはおすすめです。
■
新しいことを始めるときはいつだって多少なりともワクワク感があります。
小さいときは父親がよく公園に連れて行ってくれて、いろんな道具を買っては一緒に遊んでくれました。
サッカー、野球、バレーボール、卓球、ビリヤード、ボウリングなどなど、本当によく遊んでくれました。
そして新しいスポーツを一緒にやるときはいつだってワクワクしました。
また、久しく触れていなかったものに触れるときもワクワクします。
ずっとやっていなかったバスケを久々にやる、久しく会っていない友達と会って出かける、バーベキューをする。
これらは当然楽しいです。
しかし、最近面白いことがわかって、あれだけ嫌いだった勉強も久々にやるとなんだかワクワクしました。
ノートに書き込む作業に楽しさがあるのは発見でしたね。
僕はちゃんと大人になってきて、勉強好きになったんだと考えました。
そんなことを考えて嬉しくなっていましたが、それも束の間、、、
1週間ぐらいで勉強が苦痛になってきました。
何が辛いかというとノートに書き込むことです。
同じ内容なのにこの落差はいったい何なんでしょうか?
人間には飽きがくるのはもちろん当たり前ですが、あまりにもひどい落差です。
勉強とは進めるほど新しいことに取り組むことになります。
新しいことにはワクワク感があるはずなので、ずっと楽しさがあっても良いような気がします。
ですが、新しいことが現れると非常に苦しみを伴いました。
なぜノートを取りたくなくなったんだろうと、ちょっと考えてみました。
そしておそらく答えが出ました。
それは目的が変わってしまうことです。
僕は勉強を始めた当初はノートを自分の考えを整理するために使っていました。
もちろん新しい内容を記すためにも使っていましたが、いわばメモ書き的な要素を多く含んでいました。
しかし、勉強を進めていくうちに「せっかく書いているんだからここも、あっちも書いておかなきゃ」という風にノートを作っていくことが目的になってきました。
最初のうちはメモもそこそこにひたすら学習を進めていたのが、ノートを取る時間が増えました。
それ自体は決して悪いことではないです。
問題は調べた内容の文章を丸写しが増えたことです。
これは内容について碌に思考をせず、ただノートに記録を残すことが目的になっていることを色濃く表していると思います。
こうなってくると大変です。
新しいことが出てくると、以前は「こんなことができるのか」とか「これを使ったら面白そうだ」などの考えが浮かぶことがありました。
しかし、ノートを取ることが目的になると「また新しい内容だ、、、」とか「ノート取らなきゃ、、、」という思考になります。
まったくもって良いことがありません。
新しいことにワクワクがあるのは知らない世界が広がっているからです。
そして知らない世界は「こうなっているんだ!」という発見があったり「あれに使えば喜んでくれる人がいるかも」といった想像を膨らまします。
しかしノートを取ることが目的になった瞬間に、ただ作業を続けるだけになります。内容が知っていることだろうが、新しいことだろうが関係ありません。なんたって記録が目的ですから。
わかってみればなんてことは無いことでした。学生のうちに気づいても良さそうな内容です。
でも、これがわかって僕は勉強にまた取り組めそうな気がします。
目的が大事なんてことは誰もが知っていて、頭では理解できていましたが、身をもって体験すると自分のものになった感じがしていいですね。
今回はノートを取るということに焦点を当てました。
しかし思い返すと似たようなことがありました。
それは体験で少し内容をかじる程度だとすごく楽しめたのに、本格的に頑張ろうと思って、講座を受けようと考えてその量を見ると一気にトーンダウンすることです。
これは「新しいことを学んで何かしたい」という思いが「すべて習得するためにはこれだけの量をこなす必要がある」に侵されてしまった瞬間だと思います。
これからはそうならないように気をつけていこうと思います。
IAP呼吸法
僕は朝起きるのが苦手です。
起きたとしても眠気が夕方までずっと取れないという状態の日が多く、大抵は夜になると覚醒します。
完全な夜型なのかな?と思っていました。
しかし、ここ数日間は少し調子がいいです。
日中の眠気や倦怠感が少ないように感じます。
2,3ヶ月前から健康のためにランニングやサプリ、プロテインでの栄養補給、読書などいろいろ始めていますが、調子はまちまちでした。
そんな中ちょうど4日前からやっていることがあり、日に日に体調が良くなっている気がします。(気温が少し下がってきて過ごしやすいというのもあるかもしれませんが、、、)
何をやっているかというと「IAP呼吸法」です。言い換えると腹圧呼吸のトレーニングです。
数年前に買った本を読み返していて、やってみようと思ったのがきっかけでした。
腹圧呼吸とは簡単に言うと息を吸うときも吐くときもお腹を膨らませることです。
腹部に内側から圧力をかけ続け、体幹を安定させます。
疲れは筋肉だけでは無く神経からも来るようで、体のバランスが崩れると神経の通り道が悪くなり、疲れやすくなるとのことです。
腰痛とかを引き起こすのはこのメカニズムでもあるようです。
また、腹圧というのは横隔膜を下げることでかけられるようなので、そのような呼吸法は副交感神経にシフトしやすいし、酸素を取り込みやすく、そのことで細胞に酸素が行き渡ります。結果回復につながりやすいということですね。
実際に腰痛を抱えるスポーツ選手にも効果的だったとか。
僕自身、ストレートネック+巻き肩+若干の猫背ということで姿勢が悪いのは気になっていました。
ちょうどいいやと思い、実践したところ、姿勢が良くなっていきました。
そしてなんと精神的な面でも良いことがあり、いつもより焦らなくなりました。
昔はお腹を少しへこますような呼吸だったので、多分肺呼吸だったんだと思います。
いろいろなことを試してきましたが、なかなか効果を実感するものには巡り会えないものなので、非常に嬉しいです。
姿勢を良くしようとするとどうしても反り腰ぎみになるので、その点だけ注意しています。
以上