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新しいことを始めるときはいつだって多少なりともワクワク感があります。
小さいときは父親がよく公園に連れて行ってくれて、いろんな道具を買っては一緒に遊んでくれました。
サッカー、野球、バレーボール、卓球、ビリヤード、ボウリングなどなど、本当によく遊んでくれました。
そして新しいスポーツを一緒にやるときはいつだってワクワクしました。
また、久しく触れていなかったものに触れるときもワクワクします。
ずっとやっていなかったバスケを久々にやる、久しく会っていない友達と会って出かける、バーベキューをする。
これらは当然楽しいです。
しかし、最近面白いことがわかって、あれだけ嫌いだった勉強も久々にやるとなんだかワクワクしました。
ノートに書き込む作業に楽しさがあるのは発見でしたね。
僕はちゃんと大人になってきて、勉強好きになったんだと考えました。
そんなことを考えて嬉しくなっていましたが、それも束の間、、、
1週間ぐらいで勉強が苦痛になってきました。
何が辛いかというとノートに書き込むことです。
同じ内容なのにこの落差はいったい何なんでしょうか?
人間には飽きがくるのはもちろん当たり前ですが、あまりにもひどい落差です。
勉強とは進めるほど新しいことに取り組むことになります。
新しいことにはワクワク感があるはずなので、ずっと楽しさがあっても良いような気がします。
ですが、新しいことが現れると非常に苦しみを伴いました。
なぜノートを取りたくなくなったんだろうと、ちょっと考えてみました。
そしておそらく答えが出ました。
それは目的が変わってしまうことです。
僕は勉強を始めた当初はノートを自分の考えを整理するために使っていました。
もちろん新しい内容を記すためにも使っていましたが、いわばメモ書き的な要素を多く含んでいました。
しかし、勉強を進めていくうちに「せっかく書いているんだからここも、あっちも書いておかなきゃ」という風にノートを作っていくことが目的になってきました。
最初のうちはメモもそこそこにひたすら学習を進めていたのが、ノートを取る時間が増えました。
それ自体は決して悪いことではないです。
問題は調べた内容の文章を丸写しが増えたことです。
これは内容について碌に思考をせず、ただノートに記録を残すことが目的になっていることを色濃く表していると思います。
こうなってくると大変です。
新しいことが出てくると、以前は「こんなことができるのか」とか「これを使ったら面白そうだ」などの考えが浮かぶことがありました。
しかし、ノートを取ることが目的になると「また新しい内容だ、、、」とか「ノート取らなきゃ、、、」という思考になります。
まったくもって良いことがありません。
新しいことにワクワクがあるのは知らない世界が広がっているからです。
そして知らない世界は「こうなっているんだ!」という発見があったり「あれに使えば喜んでくれる人がいるかも」といった想像を膨らまします。
しかしノートを取ることが目的になった瞬間に、ただ作業を続けるだけになります。内容が知っていることだろうが、新しいことだろうが関係ありません。なんたって記録が目的ですから。
わかってみればなんてことは無いことでした。学生のうちに気づいても良さそうな内容です。
でも、これがわかって僕は勉強にまた取り組めそうな気がします。
目的が大事なんてことは誰もが知っていて、頭では理解できていましたが、身をもって体験すると自分のものになった感じがしていいですね。
今回はノートを取るということに焦点を当てました。
しかし思い返すと似たようなことがありました。
それは体験で少し内容をかじる程度だとすごく楽しめたのに、本格的に頑張ろうと思って、講座を受けようと考えてその量を見ると一気にトーンダウンすることです。
これは「新しいことを学んで何かしたい」という思いが「すべて習得するためにはこれだけの量をこなす必要がある」に侵されてしまった瞬間だと思います。
これからはそうならないように気をつけていこうと思います。